いなかを楽しむ生活2 Life Enjoying Country

都会を真似ない 夢見ない 妬まない いなかを受け入れて 楽しむ生活の記録です

椎茸をやっと届けました。生きづらさ も At last I took shiitake to my old friend. about "hard to live"

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3月23日(月)のことです。

21日(土)は親戚の方から

仏様を拝みに来て貰いましたので

 

22日(日)は私が親戚を3軒廻りました。

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一軒目

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二軒目

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3軒目

こちらは神式です。

 

でお昼になりました。

午後はあれやこれやと

夕方までしっかり楽しんでしまったので

23日(月)になりましたが夕方

仕事の帰りになりましたが

やっとのことで

幼なじみであり親友であった

50代半ばで逝ってしまった彼のお宅へ

あの椎茸をやっと届けました

今までの調子で仕事帰りにと思ったんですが

以前とは違って私の帰りの時間が

最近は17時過ぎには会社を後にしますので

自分だけ早くなったのに気づかず

誰ともお会いすることが出来ず

玄関先のポストの上に置いて帰ることにしました。

夜電話しました。

自分の勝手な思いで持って行った事

時間が夕方で会えなかった事等等

謝ってから

仏壇にお供えをお願いしておきました。

 

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こんな感じになっているのかな?(合成写真)

 

早くに逝ってしまった友人とか

病気や不慮の事故で亡くなった人のことを思いながら

きっとまだまだ生きて色々したいことが有ったでしょう。

そんなことを考えていたら

またまた

生きづらさ について考えてみました。

 

自分も若い時は収入も少ないし

物質的には今よりずっと貧乏でした。

しかしそんな時にも生きづらい などと考えたことも無く

お金がもっと有れば物がすぐに、何でも手には入る

そんな生活ができたかもしれないけど

貧乏でもそれなりに楽しく生きていたのですよねぇ。

 

識者によりますと

どうも江戸時代も室町時代も明治も

生きづらいと言えば生きづらい ということで

現代が特に生きづらい訳では無い ようです。

せきが出て苦しいとか鼻が詰まるとか肺がぜいぜいするとか

そんな息づらい症状がある訳でも無いので

病気では無い訳ですから

きっと精神的なものなのではないでしょうか。

 

ということは

人間の考え方の問題であるらしいことが見えてきた気がします。

そんなことを考えておれる時間が 余分な時間がある

もてあました時間が有って つい考え込んでしまっている

そんな状況なのではないでしょうか。

 

人間生死を掛けて生きている時とか

人間必死で生きていて夜は疲れ果ててすぐ寝てしまう時とか

そうではなくて

そんなに体が疲れずに心に隙間が有り考える時間がたくさん有る

そんな時以外には

生きづらいかどうかなんて考えないのではないか

 

要するに一言で言って 考え過ぎ

そんな気がするのですが

如何でしょうか?

 

とすれば解決法は

考える時間が無くなるほど働くこと

疲れて、ばたんキューと寝る

それが一番良いですぞ、きっと。

それもいやならもう考えないこと

考えたってどうなる訳でも無いのだから。

如何でしょうか?

 

馬鹿言ってんじゃーねーよという方

ご意見をお聞かせ下さると

有り難いです。